友人を削除しない
「 フレンド・フレーション」という言葉を、はじめて聞いた。
A.Iによると、「フレンド」と「インフレーション」を掛け合わせた「造語」だそうだ。
「物価高などで友人付き合いのコストが上がり、友情を維持するのが経済的に負担になる現象」
ということらしい。
インタビューに答えていた若者は、フレンド・フレーションにより、10人いた友人から5人を「削除」したそうだ。
目が点になった。
僕にも少ないが何人かの友人がいる。
先週、友人の家の前を車で通ったとき、たまたま庭に出ていた友人の顔を見た。あわてて車を停めて声をかけた。
「久しぶり!」
「おお、ジョー、久しぶり!」
僕を「ジョー」と呼び捨てにする、ただ一人の友人だ。
彼は、僕も所属していた吹奏楽部の部長や生徒会長などを歴任した優等生だった。
後に出てくる友人とは、毛色が違っていた。
「上がっていけよ!」
「うん」
「5年ぶりくらいかな?」
「うん」
そうして、中学生の頃よくお邪魔した応接間に上がった。
小一時間、近況報告や昔話をして帰った。
「また、寄ってくれよ。結花さんによろしくな!」
「うん。また来るよ。コーヒー、ごちそうさま!」
5年会っていなくても、何も変わらない。心地よい時間だった。
友情を維持するのに、何の負担もない。「削除」する必要などまったくない。
相変わらずきわめて仲の良い「友人」である。
3年会っていない友人がいる。
3年会っていないが、僕の両親の命日と彼岸にはかならず花を持ってくる。休日に来るから、いつも会えない。
電話で話す。
「いつもすまんなあ」
「そんなことはない。親父さんにもおばさんにも世話になったから」
ぶっきらぼうだが、あたたかい。
早くに父親を亡くしたそいつは、若い頃から僕の父を「親父さん」と呼んでいた。
中学生の時からそいつは番長だった。腕っぷしがめっぽう強く、周りから恐れられていたが、心は「優しさの塊」のような奴だった。
「ジョージ、遊びに行こう!」
「今は駄目だ、読書中だ!1時間待ってろ!」と言うと、待っている。
「今は駄目だ、音楽鑑賞中だ!」と言うと、渋々四楽章が終わるまで一緒に聴く。
後年、「ジョージのおかげで、クラシックを聴くようになったよ」と、感謝された。
そいつが番長で、45年今も一緒に仕事をしている相棒が「裏番」だったから、読書少年の僕にとっては、あまり良い環境ではなかったな。
それでも、番長も裏番も、読書少年の言うことは、黙って聞いてくれた。
彼らの成人式の時の写真だ。
左端が番長で、右から2番目が今も一緒に仕事をしている裏番だ。右端の男は、若くして心臓病で亡くなった。右から3番目は、以前のブログでも出てきた声帯を患った「トマト」という奴だ。
番長の隣は、これも以前ブログに登場した山岳部のキャプテンで、その隣は、うちの事務所で一緒に働いていた仲間だ。
真ん中の奴だけが、記憶がない。
こんな奴らと一緒に居たと思うと、恐ろしくて鳥肌が立ってくる。
しかし、今でも変わりなく「友人」だ。
「削除」しないし、たぶん僕も「削除」されていない。
無理して「友だち」を作ることはない。
案外、鏡に写った自分が友だちであっても、それはそれでいいんだ。
ただ、濃くなくても話し相手ができたなら、その人を大切に「思って」あげればいい。
「思ってあげる」だけなら、負担にはならない。
「削除」の必要もない。


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