師匠(照明家)
今年で「平多武於舞踊研究所つくば」も、設立から35年になる。
ということは、杉並で「平多武於舞踊研究所」を旗揚げしてからでは42年、僕が発表会で
「森の中からのメッセージ」
を創作してから、すでに40年近くになるわけだ。
あまり成長してない。
あの頃、二十歳そこそこの若造が、今や文字通り日本を代表する舞台監督や照明家、音響家になっている一回りも年上のスタッフに、
「あなたたちは、僕が望む作品に、どれだけ近づけるかだけに努力して下さい。」と、言い放つド素人の馬鹿者であった。
舞台を作り上げて行く上で「裏方」が、いかに重要かを、まだ知らなかった頃だ。
作品の場面場面で、照明家に「ここは悲しみがより強くなるイメージで、ここは、明日に向かって希望が湧いてくるようなイメージで・・・」なんて、注文するわけだ。
新進の照明家は
「そんな漠然としたイメージで言われても、あかりは作れないわ!」
と、目をつり上げて喧嘩ごしで言ってくる。
「それを作るのがあなたたちの仕事でしょう!」
「あのね・・・」
すでに怒鳴り合いだ。
舞台監督が仲裁に入る。
「譲司さん、場面設定をきちんとしてくれないと、我々は動けないんだよ。」
「いや、僕はイメージだけを言う!あなたたちはプロでしょう?僕が今言ったイメージを読み取ってよ!」
会話にならなかった。
その照明家は、
「二度と平多の仕事はやらないから」と、舞台監督に申し出たそうだ。そもそも、その照明家は舞台監督の紹介だった。
その発表会が終わった翌日、僕はその照明家に電話を入れた。
もちろん携帯電話などない時代たから、自宅に電話をした。
今でもはっきり覚えている。
電話を取ったのはやはり照明家の旦那さんだった。
「平多武於舞踊研究所の川島と言います。お世話になっております。〇〇さん、ご在宅でしょうか?」
「いるけど、電話、出るかなぁ?ちょっと待っててね。」
照明家の先生、散々ご主人に愚痴をこぼしたんだろう。
しかし、ご主人はとてもフレンドリーな方だった。奥様とは大違いだ。
しばらく待たされたが、
「はい・・・」と。
えらく沈んだ声だった。底なし沼から聞こえて来るような声だったな。
「昨日はお疲れさまでした!」
譲ちゃんはきわめて明るい!
「はい・・・」相変わらず沈んでいる。
「あれ?身体の調子でも悪くしました?」
さらに明るい譲ちゃん。
「・・・なにか?・・・」
「なーんか具合悪そうだなあ。そういえば、来年の発表会の日にち、言ってあったっけ?」
「・・・」
「〇月〇日、大丈夫かな?」
「・・・」
「あれ?やっぱり具合悪いんじゃないの?」
「・・・ちょっと気分が悪いだけ・・・」
「そりゃ、太田胃酸かなんか飲んだ方がいいわ!」
「電話切れば治るから」
「なんか、いやな言い方だなぁ」
「私でいいの?」
やっと仕事の話になった。
「お願いします。」
「わかった」
「わかった、じゃなくて、わかりましたじゃないの?こっちは仕事依頼してるんだよ。もしかして、二度と川島とはやらない!なんて、ご主人に言ってないよね?」
「言ったわよ!」
はじめて元気な声が帰ってきた覚えがある。
「〇〇さん、僕の本質に気づいてないなぁ」
「電話、切るよ!」
「じゃ、よろしくね」
「わかった」
あまりわかっていないようだった。
それが、照明家との最初の年の出来事だった。
あれから40年、今もご夫婦で素晴らしいあかりを作ってくれている。
今、僕は、あかりについて、まったく注文をつけない。
彼女は台本を見るだけで、僕の「イメージ」を、僕以上に理解してくれる。
それが「年月」なんだろう。
美術家の前田先生が他界された今、舞踊の世界で僕を「じょうじ」と、呼び捨てにするのは、このご夫妻だけになった。
札幌出身のその照明家。
毎年、帰省するとバターとチーズを送ってくれる。
このバターは、子供の頃から我が家で食べていたバターだ。
今は、高価すぎて料理には使い切れないが。
このバターの缶を見ると、母の言葉を思い出す。
「マーガリンは食べちゃだめよ!癌になるからね!」
そんなことはない。
このバターを食べ続けた父も兄も、ちゃんと胃癌になって、人より早く他界している。
でも、やっぱり、マーガリンは苦手だな。
刷り込まれているな。

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