子猫物語(1)

 今から35年前、新婚旅行から帰ってきて何日かたった、ある日のことである。

アパートの隣にある公園に散歩に行ったときから、この物語ははじまる。

その公園の小さな砂場で、片目のつぶれた生まれたばかりの子猫と出会った。

車にでもひかれたのだろうか、後ろ足は血で真っ赤に染まり、歩くことはおろか、泣くこともできずにうずくまっていた。

その頃の僕はというと、以前書いたように、新宿の設計事務所から独立したはいいが、知り合いのいない「つくば」という街で、まったく仕事がなく、だから当然収入もまったくなかった時期で、貯えも底をつき、「さあ、これから先、どうしたものか・・・」といった状況のときだった。

そんなとき、その子猫と出会った。

妻が目に涙をためて僕に言った。

「この子・・・死んじゃうよね・・・」

「とにかく、動物病院に連れて行こう」と言うと、彼女は小さくうなずいた。

部屋に戻り、浴室で泥と血で汚れていた身体をきれいに洗って、荒川沖の動物病院に向かった。

身体を洗ったのが良くなかった。体力を奪ってしまった。動物病院に着いた時には、呼吸すらおぼつかない。

病院の院長先生が、

「川島さん、この小猫ちゃん、何もしなければ明日の朝には静かに息を引き取ると思います。だけどね、川島さんと奥様の思いは、猫ちゃんに伝わりましたよ・・・」と。

「何もしなければ」

その言葉が、僕の心を刺していた。

「先生、何かすれば助かるんですか?」

「それはわかりません。でも、回復する可能性はあるかもしれません。」

しばらく考えた。と、言っても、おそらく実際には20秒くらいのものだったろう。

妻はその間、涙を流して、僕を憐れむような目で見つめていた。

「先生、支払い、分割にしていただけないでしょうか・・・じつは、今、お金が無いんです。」と、精一杯の勇気を振り絞って言った。

先生が唇をかみしめながら、大きくうなづいてくれた。

妻も助手の女性もほほ笑みながら、涙を流していた。

その日から1週間の入院。

僕と妻は、毎日、いや、7日間で10回、子猫に会いに行った。子猫は日に日に元気になっていった。

退院の日、なんとかお金を作り、子猫を迎えに行った。

「先生、全額お支払いできそうです。」

「川島さん、手術費も治療費も発生しません。飼い主がいないんですから・・・でも、これからは川島さんが飼い主ですから、何かありましたら、いつでも来てください。」と、満面の笑顔で。

翌日、ささやかすぎるが、叶家のシュークリームを持って、子猫を抱きながら御礼に伺った。

この写真は、子猫が退院した日に、子猫と出会ったその公園で撮った思い出のスナップである。

すでに入院中に、名前は「ステ」と名付けていた。

もちろん捨て猫の「ステ」ではない。

新婚旅行に行ったウィーンの

「ステファン寺院」

からとったに決まっている。


つづく


 




 



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