三ヶ月ほど前に懇意にしている下駄職人から電話があった。
下駄作りをやめるという。身体の具合が今ひとつだという。
とにかく、来て欲しいというので2時間ほどかけて会いに行った。
会うなり、下駄の材料となる桐の板が積んである倉庫に連れていかれた。
「好きな板、好きなだげ選んでくろや。時間かがっけど、最後につくっからよ。言っとくけど、金はいらねえんだがらな・・・」
「身体、そんなに悪いのか?」
「ああ・・・、手術でぎねーって言われちまってよ。今のうぢなら力、はいっからよ・・・先生のだげは作んなぎゃしょがあんめよ。んだがら、電話したんだよ。」
いつの間にか僕は「先生」になっていた。
先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし・・・まあ、いいか。
桐板から美しい柾目の出る下駄を選ぶのはなかなか難しいのだが、40年も下駄を履いていると、そこいらの和装店の兄ちゃんより目は肥えてくる。いや、和装店の兄ちゃんは、板からは選ばないか・・・
柾の目も目の数も選ぶが、板の重さ、板と板をぶつけたときの音の弾み方が重要である。
マニアックな話で、読んでいてもつまらないかな。
そして先日、
「先生!できたぞー。鼻緒も本天(正絹)取り寄せだがら」
「そうかー、じゃあ、明日、行くよ」
「はいよ!」
翌日、ささやかな手土産と相応のお見舞いを携えて伺った。
心なしかすこし痩せて見えた。声もすこしかすんでいた。
「どうだ、具合は」
「とうに70超えてっからよ、いつ逝ったってしょうがねえよ。」
「そうか、じゃあ、すこしだけ先に行ってろよ。」
「は、は、は、先生はなぐさめねえんだな」と言って満面の笑顔で見送ってくれた。
部屋で下駄を並べてみた。
ちょっとしたコレクションだな。あと、7,8年は心配いらないな。
この下駄職人に出会う前に、2人の下駄職人との別れがあった。
これで3度目である。
「別れと言えば 昔より
この人の世の 常なるを」
そうなんだろう、理解はしている。
しかし、悲しすぎる。
この下駄を履き切ったら、もう下駄を履くのはやめよう・・・
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