久しぶりの岐阜

先週末、3年ぶりに岐阜に行ってきた。

前回は「かやの木芸術舞踊学園 」の記念公演に招かれての旅だった。

今回は、その「かやの木」の学園長からご推薦いただき、「ラストクリスマス、悪魔が天使にかわるとき」の生徒と「恋狐(こいぎつね)」の麻衣が『国民文化祭・ぎふ洋舞フェスティバルin可児』に出演させていただいたので、のこのこついていった。

僕がついていったからといって何か生徒の力になれるわけでもないのだが、まあ、魔除けぐらいにはなるだろうと、ちゃっかり連れて行っていただいた。

感激した。

岐阜県の皆さんの舞台に感激したわけではない。

前日、リハーサル後の「かやの木芸術舞踊学園」の生徒さんや指導の先生方が催して下さった「交流会、いや歓迎会」に感激した。

はたして逆の立場の時、僕に同じことができるだろうか・・・

「かやの木」の皆さんに、そして学園長の木原先生に心からお礼を申し上げます。


その学園長の父上、前学園長の宏之先生に、僕はたいへんお世話になった。

会う度に、「お前さんは児童舞踊をまったく解っとらん!」が口癖だった。

宏之先生が亡くなられて10年が過ぎた。来年の秋口には13回忌かな。結花も線香あげたがっていたな。

この写真は25年近く前、1年だけ入会した児童舞踊協会の総会での写真だ。
僕はまだ30代後半、先生がちょうど今の僕の歳62歳くらいだろうか。

新入会員の僕を「お前さんはここでいい」と言って、先生の主賓テーブルに強引に座らせた。
いや、座らせていただいた。
めちゃくちゃ強引なやさしさを持った先生だった。
以前にも書いたが、最初の出会いは妻の父・平多武於に妻の実家で紹介された。
「あんたがじょうじ君か」が、第一声だった。
「知らない方に『あんた』呼ばわりされるほどの男ではございません!」そう応えると、
「なるほどうわさどおりだ!」と、言いながら、やさしい目をしていたのを憶えている。

そんな付き合いだからか、コンクールではライバルでありながら、今の学園長を「はじめちゃん」「じょうじさん」と呼び合い、ご子息を「れん!」と、呼べる付き合いをさせていただいている。

今回の岐阜の旅では、お元気な陽子先生ともたくさん話ができた。先生、いつまでも元気でいて下さい。先生がうちの教室を「兄弟なんですもん」と、言って下さったこと、忘れません。


目があまり芳しくなかったので、しばらくブログを控えていたのだけれど、公演会場で「かやの木」の方から「先生、ブログ、楽しみにしています!」と、言っていただいたものだから、「よっしゃー!」てな感じで、すこしずつ書き始めました。

豚も歩けば木から落ちる?違ったか・・・

「かやの木芸術舞踊学園」の皆様、ほんとうにありがとうございました。

そして、「平多つくば」のみんな、お疲れ様でした。
舞台、よかったぞ!

あおい、酔っぱらってないか?





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